夕刊読んでみたら!『加藤清正の甲冑』
こんにちは。中日新聞豊橋西部専売店 鳥居新聞店です。
とうとう入梅!と、週間天気予報の雨や曇りマークにどんよりしつつ覚悟を決めたところに、本日の晴天です。むむ。これは・・・また週間天気予報外れるか?!難関試験を突破した天気予報士や、積み重ねられた経験値を持つ気象台でも天気予報は時として外れるもの。いかに自然が摩訶不思議ということか。人知の及ばぬものということは、今も昔も変わらないのでしょうね。
さて、本日も『夕刊』についてです。夕刊の意義としては、朝刊に間に合わなかったニュースや情報、午前中に起きた事件事故を掲載してより詳しく早く、お客様にお届けすることにあります。印刷されている時間の関係もあって、同じ豊橋市内であっても夕刊が配達できない地域もあるので、夕刊購読は配達可能地域の特権でもあります。
因みに、地区にも因りますが鳥居新聞店での配達時間帯は、通常午後3時~午後5時までの間で配達をしています。天候や道路事情によって前後しますが、大体いつも同じ時間で配達をしております。おかげさまでお客様によっては、時計代わりとなっているようで、決まった時間に届かないと「どうかした?」等お問い合わせがある事もしばしば。大体の場合、そういう時は道路事情で夕刊自体が遅く届いた場合が多いです。 また、新人さんが頑張って配達する時などご迷惑おかけするかと思いますが、ご理解頂けたら幸いです。
では、記事のご紹介へ。6月7日付の中日新聞夕刊からのご紹介。
名古屋の熱田区にお住まいの『甲冑師』熱田さんが、名古屋市中村区生まれの戦国武将“加藤清正”着けたといわれる甲冑を復元しました。
加藤清正といえば、震災の傷跡も生々しい熊本城を完成させ、名古屋城の築城にも尽力した『城造りの名手』。賤ヶ岳の戦いの七本槍の一人、秀吉の朝鮮出兵、関が原では徳川方につき勝利するなど、知勇を兼ね備えた武将として人気が高い。今回、墓がある山形県鶴岡市との交流が縁で、甲冑師の熱田さんが復元し、10日には甲冑が発見された鶴岡市の天沢(澤)寺で公開されるとのこと。 実際の甲冑は、天沢(澤)寺の境内での発掘作業中に土中から、バラバラの状態で発見された物が清正の甲冑と推定されたとの事。それが、縁あって鶴岡を訪問していた熱田さんの目に留まり復元依頼へと繋がった。
しかし、交通の不便だった時代に加藤清正の変転が凄いと思うのは私だけでしょうか。名古屋に生まれて、滋賀・岐阜・朝鮮・熊本。秀吉の小姓となり、20歳頃に初陣を果たしてから、49歳で病没するまでの人生がいかに濃密であったか計り知れません。この間に本能寺の変・賤ヶ岳の戦い・朝鮮出兵・関が原の戦い・九州平定・四国征伐(順不同)。濃すぎる。
山形県の天沢(澤)寺の墓所は、清正死後加藤家の改易により後継の三男・忠広がその遺骨をもって、出羽庄内藩預かりの身分のうちに建てたとのこと。
愛知の武将といえば“三英傑”を思い出す人がほとんどでしょうが、こういった話題が紹介されることで『名脇役』に脚光が当たり、地元が話題になったら嬉しいですね。そして、熱田区に「熱田さん」がいらっしゃるというのも、ちょっと驚きでした。